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ルビヤンカの壁の落書き

あらゆる方面の事柄を気の赴くままに書いていこうかな、と。

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戦史シリーズ 第1回 「フス戦争 後編」 

 さて、ようやくの更新です。地震以降なんか心が落ち着かなかったせいなんですが。

 フス戦争の戦闘に迫っていきましょう。やはり、フス戦争の戦史上最も注目すべきものは精強を誇ったターボル派の存在です。彼らは前編でも述べたとおりフス派の中でも最も急進的な集団でした。ターボルというのは彼らが建設した都市に由来します。現在でも残っており、その防衛に適した都市設計が当時の情勢をそれとなく我々に伝えてくれます。

 Tabor


 都市部が小高くなっていて、付近を川が流れているのが分かると思います。また、地下道が都市の全体に張り巡らされていて持久戦が可能でした。

 彼らターボル派は、農民や都市の貧しい層からなる組織で、政治は急進的なフス派の司祭やその理念に賛同した傭兵隊長などの合議制で行われていたようです。農民たちは農耕を行い、都市からの職人たちは日用品に加えて軍に必要なものを製作していました。身分による待遇の差はなく、さながら共産主義国の一都市のようです。
 明らかに彼らは軍事の訓練を日夜積んでいけるような人々ではありません。それがどのようにして騎士の軍団を打ち破ったのか、が今回解き明かしていく謎です。
 その理由は大きく分けて3つあるでしょう。

1. ターボル派を率いていたのが優秀な指揮官であったこと
2. ターボル派が新兵器、新戦術を使用したこと
3. カソリック勢力の指揮系統が統一されておらず、寄せ集めであったこと

 まず1について。ターボル派は、かつてグルンヴァルトの戦い(1410年)に参加した古強者で、ヴァーツラフ4世の身辺警護も務めていたことのあるヤン・ジシュカや、修道士から身をおこしたにも関わらず、外交や軍事に活躍したプロコプのような指導者に恵まれていました。特に前者のジシュカが2の要素にも大きく影響した偉大な戦術家であったことが大きいでしょう。的確な戦場選択を行い、3の要素につけ込む作戦を立案できる戦争のプロでした。

 次に2について。敵は騎士の軍団ですから、彼らの最大の持ち味である騎馬突撃をガードできるような新兵器、新戦術が求められていました。そこで先程のヤン・ジシュカは火薬を用いた兵器、すなわち鉄砲を使用しました。これはやや特殊な知識と技能が求められるものの、技術者を雇う金は十分に拠出可能で、農民たちの訓練にもそれほど時間をかける必要はない反面、集団で用いた場合はその弾丸の威力以上にその発射時の爆発音で敵の乗馬を驚かせることができます。
 しかし、これだけでは攻撃はカバーできても防御はカバーできていることにはなりません。この当時の鉄砲は発射速度が1分に数発という非常に遅いものでしたから、発射タイミングを見極めなければその間に間合いを詰められて倒されてしまいます。そこでジシュカが考案したのが「車砦」です。これは当時普通に使用されていた荷車を補強改造して矢を防ぎ騎馬突撃を不可能にしたものでした。ターボル派の兵士たちはこの陰から鉄砲などの飛び道具をしようしました。また、近寄ってくる歩兵に対してはこれまでも使用されてきたクロスボウや普通の白兵戦武器で対抗しました。無論、相手に機動力を生かした戦闘をされないような戦場を選定するのも条件です。

 Wagonfort

newtac




 この新兵器新戦術は見事に決まり、混乱をおこした騎士たちはその場であたふたしているうちに農民兵たちの襲撃を受け、強みであったその装甲の隙間を貫かれて死んでいきました。恐慌状態に陥らせるということは組織的な抵抗をやめさせるということでもありますから、その隙を突けば勝利が得られるのです。

 戦勝を重ねたターボル派の名声はまたたく間に広がり、1424年にジシュカが死去して以降も彼らは自らを「孤児」と名乗り戦い続けました。彼ら兵士にとってジシュカは親父さんなのです。1431年に編成された第5回目の軍団(実はこれ、十字軍なんですが)はフス派たちが戦闘開始の前に決まって歌う賛美歌を斉唱しただけでパニックを起こして敗走したといいます……遠征費用を自腹を切って拠出し、遠くボヘミアの地で不安に駆られていたのを神への信仰でどうにか支えていたのが一気に崩壊したのでしょう。また、戦争が後期になるとターボル派は、ボヘミア国内の疲弊が原因で今後の活動を続けるためにボヘミア国外へと遠征を行って略奪を続けなくてはならなくなり、やっていることは盗賊団と全く変わらないようになってしまいました。
 ボヘミア国内の疲弊は、フス派全体での妥協ムードを作り出すのに十分でした。しかし、ターボル派は戦争が終わってしまえば元の貧しい生活に逆戻りしてしまう人間の集まりでしたから、生活の面から休戦には反対せざるをえなかったのです。そうして穏健派たちとの対立が激化し、1434年のリパニの戦いでリーダーのプロコプが戦死し、ターボル派は崩壊してしまいました。そうして、休戦へと進んでいったのです。

 現在では、この戦いをチェコ民族としての戦いとして捉える動きが強く(実際とはかけ離れている気がしないでもありませんが)、それ以前からも作曲家のベドルジハ・スメタナが有名な連作交響詩「わが祖国」(ヴルタヴァでご存知でしょう)の第5曲目に「ターボル」を作曲しています。この曲には十字軍を追い払ったとされるあの賛美歌「汝ら神の戦士たち」のメロディーが使用されており、かつての彼らの勇敢な戦いを讃えています。
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Posted on 2011/03/20 Sun. 17:58 [edit]

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