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ルビヤンカの壁の落書き

あらゆる方面の事柄を気の赴くままに書いていこうかな、と。

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歴史雑記「ターボル派滅びの一幕」 

 ターボル派とはローマ・カトリックの腐敗に抵抗するフス派の一派で、フス戦争時にそのリーダーの一人であるヤン・ジシュカによって中世末期最強の軍団になるも、後にフス派内の内紛によって消滅してしまった派閥です。今回はそれに関しての記事となります。

 彼らは貧農や一般市民で構成され、ボヘミア中部の丘陵地帯に自分たちの要塞化された都市すなわちターボル(イエス・キリストが変容した山に由来)を建設し、原始共産制まがいの体制を敷いていました。というのも、一度このターボル派に参加すると全ての私有財産を集団の所有物として納めなければならなかったからです。戦乱で農地を離れ、失う物などほとんどない貧農にとっては、自分の農具が公有化される以上に宗教的、そして物質的な見返りがあるのでしょう。ヤマギシを彷彿とさせますが……。また、この派閥の最高意思決定機関は複数の高位聖職者と、ヤン・ジシュカらの軍事指導者の会議であったようです。
 この派閥の教義上の最大の特徴は、中世的な封建的階級制度に対する強い反対です。「この世にはもはや主人も下僕もない!」と宣言し、人々を無原罪の時代へと回帰させることを主張していました。さらに、「誰もが聖書を自分で解釈することが出来て、その議論を戦わせることができる」権利を主張している所にも封建制に対する強い反発が伺えます。この派閥に所属する多くの聖職者がスコラ学の影響を強く受けていたにも関わらず、それとは乖離した教義となっているところが非常に興味深い派閥であります。

 そんな彼らを一躍有名にしたのは、名将ヤン・ジシュカに率いられたその精強な軍隊です。しかし、貧農や市民はろくな軍事訓練を受けていません。それが、どのようにして百戦錬磨の騎士軍団たる十字軍を打ち破ったのでしょうか。答えはかなり前の記事「フス戦争後編」にありますので概要だけを述べると、「強化馬車を並べた陣地や野戦築城で騎馬突撃を防ぎ、大型のクロスボウや鉄砲、大砲を駆使して敵を撃破した」ということです。また、有利な戦場を選定する将才がジシュカにあったことも間違いありません。
 このまま戦争が終了し、フス派が自らの主張を通すことが出来ればそれで万々歳なのですが……。相手は教皇庁と神聖ローマ皇帝、そういうわけにもいきません。教皇にとっては自分たちの教義こそが正統なのであり、妥協は神の名において決して許されないのです。戦争は長期化し、フス派の一派で穏健派であるウトラキスト(語源はラテン語の二重聖餐)は敵と妥協して戦争を早期終結させることを画策しました。というのも、彼らの多くは貴族や富裕市民であったため、戦争による農地の荒廃や商取引の停滞により困窮しかねなかったからです。しかし、これはターボル派とっては許されることではありません。これにはいくつかの理由があります。
 第一に、経済的な要求が挙げられます。というのも、教皇との妥協が成立し二重聖餐が認められたといっても自分たちの暮らし向きが良くなるわけでもなく、いずれは元の耕作地に戻る羽目になるからです。さらにフス戦争後期、特にヤン・ジシュカの死後には彼らの一部が盗賊化し、チェコ国外、果てには友好国のポーランド領にまで進入して略奪を働くことで富を得ていました。今更こんな美味しいことはやめられないわけです。元の理念からは外れていますが彼らにとって大事なのは日々の糧なのです。とにかく、現状を維持するためには略奪をし続けるか、それに相当する富を得るしかないのです。
 第二に、宗教的な要求が挙げられます。一度封建制に対する反旗を翻した手前、おいそれとそれを放棄することはできないのです。特に当初の理念を堅く守っていた首脳部にとって、ターボルというコミュニティを延命するためには教皇から大きな譲歩(ウトラキストが求める以上のもの)を引き出すことが必要不可欠なのです。
 ここから生まれるのはもちろん、フス派の内部対立です。フス派には様々な階級の人間がいましたから、それぞれの経済的な要求によって各派閥の教義がある程度左右されたりするのです。対話を求めるウトラキストをはじめとする穏健派と、より大きな妥協を引き出す為の実力行使も辞さないターボル派をはじめとする急進派の対立は不可避だったと言えます。穏健派は友好国ポーランドから王を迎えるための陰謀を展開したりなど……。
 両者の対立を抑えうる強力な指導者も欠いた中、彼らは衝突します。往時の勢いを失い、半強盗団となったターボル派はリパニの戦いに敗北し壊滅してしまいました。穏健派が勝利したのです。

 教皇や皇帝は決して彼らの原始共産制のようなコミュニティを許すはずもなく、強盗団化して富に溺れた者たちも現れ、穏健派とも対立したターボル派。結局のところ、彼らは自らの主張を認めさせるために、または自らの腹を肥やすために、彼らが壊滅するまで決して終わることのない戦闘を戦い続ける運命にあったのです。

P.S. 題名ネタを提供していただいたakiyamaGM氏に感謝。

訂正(9/11)
ウトラキストとは、チェコ語ではなくラテン語での「二重で聖餐される」という言葉から来ているようです。ご指摘に感謝致します。
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Posted on 2011/07/23 Sat. 11:16 [edit]

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